下書きのまま消えていく

中居です!
本日は 下書き というテーマ
メールとかで 下書き ってあると思うんですが
メモで 書いたものや
作成途中で 送信しなかったものは 下書き フォルダに 残る(たまに間違えて消しちゃう)
このブログにも 同じような 下書き というものがあります。
1個 公開せず あとちょっとで完成くらいの ブログ があるんです。
なぜ 公開していないか
それはお気に入りのネタで 最後の方 納得いっていないからです。
やはり 好きなものは こだわりたいもの。
自分の中だけのことなので 内容に 変わりはない というか
ハードルを自ら上げているわけではございません。
メールにも もう覚えてない 謎のメモが いくつかありますが
このまま 公開しないようなもの 世に出ないものは 消えていく
いや 存在していないことと 一緒かなと 思います。
私は 言葉 というものを これでも 大事にしているのですが
なるべくなら 自分が産んだ言葉は 昇華させたいような思いがあります。
曲もそうですね。
たしか100曲以上 たくさんの曲を作ってきましたが
未完成 未発表 というような曲も また あります。
未発表ってなんか偉そうだなと思いましたが
要は 自分以外に発信してないという ことです。
クジャクのダンス、誰が見た?
というドラマが最近やってましたよね。
私は見れなかったですが
タイトルが気になって調べてみたら
インドの言葉のようで
ジャングルで踊るクジャクのダンスを誰が見た
というのがあって
誰も見ていなければ、そこに価値はあるのか という問いかけの言葉
このドラマでは 冤罪という点があり
誰も見ていなくても 罪から逃れられない という 逆の視点の意味づけをされてるようです。
発信したとして 誰にも発見されなければ価値はないのか
そもそも 誰に見せるつもりもないパターンもあるかもしれない
価値というものは 自分の中で完結する価値であれば もちろん価値はあるし
他人に評価されることでの価値で言えば 伝えなければ 伝わらなければ 価値がない と言えます。
たくさんの思考の中から
ネタを探し 選び
発信していくので
きっと これからも 下書きのまま 消えていく言葉たちもあるかもしれない
でも 消えていく 顕在しない 存在しないと思えても
下書きは 頭の中にも 残されていって
普段の頭の中に 染み付いているので
形を変えて 発信されていく
という前向きな解釈で本日は閉じたいと思います。
ではまた!